街中の人がすすめる職人を、なぜ AI は見つけられないのか?

近所の人たちが二十年にわたって頼ってきた水道・電気工事の職人がいる。水漏れが起きれば、みんなまず彼に電話する。一方、できたばかりの別の会社には、ウェブサイトも、よくある質問も、サービス紹介も、ひととおりそろっている。
ある人が AI に尋ねる。「古い集合住宅の水漏れに対応できて、まず原因を調べてくれる、来るなり全部壊せと言わない人を探してほしい」
誰がすすめられるだろうか?
私は、地元での評判が根づいている店ほど、AI 検索で自分たちがどれだけ見つけてもらえるかを過大評価しがちなのではないか。 そう考えている。近所の人に信頼されていることと、システムに「なぜあなたが信頼に値するのか」を見分けてもらうことの間には、誰も翻訳してくれていない経験の隔たりがあるからだ。
完璧な答えが、いい店をかえって見分けにくくするかもしれない
学生が AI を使って完璧な課題を提出することをめぐる議論には、デジタルマーケティングにもそのまま持ち込める視点がある。見栄えのいい答えを安く作れるようになったとき、その答えはどれほどの能力を証明できるのか?
「課題」を「店の紹介文」に置き換えると、厄介なことになる。
「確かな施工、誠実なサービス、お客様第一」。ベテランの職人にも書けるし、駆け出しの人にも書ける。その商売をしたことがない人でも生成できる。文章が整えば整うほど、実際の能力の違いは、かえってならされて見えにくくなる。
だからといって、AI が必ず紹介文のうまい店を好むわけではない。推薦の結果は、どんな情報を取得でき、それをどう使うかによって変わる。ただ、少なくとも一つ、現実的なことがある。常連客の頭の中にしかない長所を、システムが勝手に補ってくれるとは期待できない。
職人は、どの一角の古い家々で共用配管に問題が起きやすいか、どんな場合にはすぐ壁を壊さないほうがいいかを知っている。ところがウェブページには、「各種水道・電気工事承ります」の一文しかない。専門性が足りないのではなく、専門性を見分けるための痕跡が残っていないのだ。
あの星三つの口コミが、かえって誰に向いているかを語っていた
こんな口コミがあったとしよう。「職人さんがその日のうちに一式交換してくれず、まず漏水検査が必要だと言い張った。二度も来てもらうことになり、面倒だった」
急いでいる人には減点材料だ。むやみに壊されるのを恐れる家主には、まさに求めていたことかもしれない。
私は、「星の数が多いほど、すすめる価値がある」という前提には留保がある。口コミは良し悪しを評価するだけでなく、取引する双方の相性も伝えている。低評価に書かれたこだわりこそが、別の客にとってはお金を払いたい理由になることもある。
ただし、ここには落とし穴もある。都合のいい不満を一つ拾っただけで、その人を職人気質の人として売り出すわけにはいかない。それが慎重さなのか、引き延ばしなのかを判断するには、そのときの対応の理由、見積もり、その後の結果も見る必要がある。状況が詳しくわかるほど、評判は違いを見分ける手がかりになる。
マーケティングに携わる人にとって、仕事はそのぶん少し興ざめなものになる。どの店にも「最高」と書くことを減らし、「どんなときに仕事を断ったのか、なぜか」をもっと掘り下げる。自分の能力を超える仕事を断れることは、サービスの約束を一ページ並べるよりも、専門家として対応できる範囲をよく伝えるかもしれない。
見つけてもらうことは、やって来る客も変える
こうした細かな情報を公開すれば、確かに AI によるマッチングに役立つ可能性がある一方で、客を遠ざける可能性もある。価格に敏感な人は検査費用を見て立ち去り、速さだけを求める人は手順がまどろっこしいと感じる。店がその結果を受け入れたいとは限らないし、プラットフォームも、人をためらわせる情報を歓迎するとは限らない。
けれども、露出を増やすためにあらゆる制約を消してしまえば、最後に集まるのは、まったく逆の期待を抱いた客たちかもしれない。推薦された数は見栄えがいいのに、電話では毎日「うちはそういうやり方ではありません」と説明することになる。
店じまいが近づいたころ、職人に問い合わせの電話が入る。「口コミに一つ、先に漏水検査をしないと修繕の見積もりを出してくれないと書いてあるんですが、どうしてですか?」
彼が説明しようとすると、相手は続けた。「まさにそういう方を探していたんです。前の業者には、もう浴室を壊すように言われていて」


