あなたはAIにこう言う。「土曜の夜、4人で入れるレストランを予約して。地下鉄の駅から近くて、1人800元以内で」。予約完了の知らせが返ってきて、あなたは店のホームページすら開かない。
便利だ。消費者にとって、それこそが任せる意味だ。けれど、懸命にショート動画を撮り、検索順位を上げようとしているレストランにとっては、客が店に入る前に、マーケティングの戦場への入り口がすでに変わっている。
AIエージェントの能力で最も警戒すべきなのは、どの違いを見る必要すらないかを、私たちに代わって決めることだと私は思う。
これは「これからは誰もが一番安いものしか選ばなくなる」という話より厄介だ。価格は少なくとも明示されている。省略された価値には、議論の場に立つ機会すらない。
「やっておいて」の一言に、口にされなかった条件がどれほど隠れているのか
AIで求人に手当たり次第に応募することをめぐる議論を、鏡にしてみよう。応募が速くなることは、互いへの理解が深まることと同じではない。同じ論理を予約や価格比較に持ち込めば、問題もついてくる。
「一番お得な水道・電気の修理業者を探して」。お得とは、出張費が安いことなのか、それとも水漏れの原因を写真に撮り、交換しなくてよい部品をきちんと説明してくれることなのか。「年配の人に向いたレストランを予約して」。向いているとは、エレベーターがあることなのか、それとも店員がおじいちゃんの話が終わるまで待ってくれることなのか。
これらはどれもデータにできる。ただ、まず誰かが尋ねようと思いつき、誰かが責任を持って記録しなければならないし、店側の自己申告だけに頼るわけにもいかない。
エージェントの手元に価格、距離、星の評価しかなければ、それらを使って比較するのは理にかなっている。厄介なのは、画面上では「比較できるのはこれだけです」が、「これがあなたに最適です」であるかのように示されかねないことだ。
こうして、データの不在が店の落選に変わる。
店には、給料を受け取らない購買責任者が一人増えるのかもしれない
近所にある2軒の自動車整備工場を想像してほしい。一方は点検整備の見積もりが安い。もう一方は少し高いが、点検や修理の写真を残し、繰り返し発生する異音の原因も追究してくれる。
エージェントが「安く整備してくれるところを探して」としか頼まれていないなら、前者を選んでも間違いではない。けれど、こうした依頼が繰り返されると、後者は見積もりを細かく分けたり、項目を調整したりして、一目見たときの数字をよくすることに力を割かざるを得なくなるかもしれない。
ここにはせめぎ合いがある。消費者には確かに、水増しされた見積もりをはねつけてくれる存在が必要だ。一方、専門職にも、手をつけるまで確かめられないことを説明する余地が必要だ。エージェントが追加のやり取りをすべて取引の摩擦とみなすなら、省いた数分間こそ、専門的な判断が行われる場なのかもしれない。
比較項目を定義できる者が、仕事にどう値段をつけるかにも関わり始める。
マーケティングの相手に、客の代わりに選択肢を削るシステムが加わり始める
地域の店にとって、これによってAI検索や推薦は非常に具体的な問題になる。「心のこもったサービス」と書いても、ほとんど比較のしようがない。車いすのまま席につけるか、見積もりには何が含まれるか、キャンセル料はどう計算されるかを明記してこそ、エージェントが使える判断材料になる。
ただし、情報が明確だからといって、推薦される保証はない。推薦枠がどう配分されるか、支払いが順位に影響するのか、注文が誰のシステムを経由するのか。そのすべてが露出を左右する。店はクリックへの支払いが一回減った代わりに、成約手数料を一件多く払うことになるかもしれない。客がなぜ自分の店を選んだのかさえ、知るすべがないかもしれない。
そのため、私が気にかけるデジタルマーケティングの問いも変わった。AIにサービスを理解してもらうだけでなく、何が省略されたのかも知る必要がある。そうでなければ、どれほど見栄えのよいコンテンツも、価格欄の一マスだけに切り詰められてしまうかもしれない。
土曜の午後、レストランの店主はエージェントからの予約を受け取る。「4名、入り口付近」。備考に目を通した店主は、こう聞き返す。「ご年配の方はいらっしゃいますか? 入り口は風が強いので、奥のほうが快適ですよ」。
画面の表示がくるりと回る。エージェントは、この言葉を伝えるために客の手を煩わせる必要があるかどうか、判断している。
