「忘れられるのも一つの能力」というテーマを借りて、逆の角度からSNS運営を考えてみたい。忘れられてもかまわない投稿はある。でも、サービスに関する細かな情報まで毎回ストーリーズと一緒に消えてしまうと、見つけてもらう機会も一緒に蒸発してしまうかもしれない。
私は、少し興ざめな考えに傾いている。SNSでいちばん残しておく価値があるのは、あまり「いいね」を押す気にならない内容なのかもしれない。
たとえば、「入口に段差が2段あります。ベビーカーでお越しの方は、事前にお電話いただければ、外に出てお手伝いします」。名言もなければ、フィルターもない。音楽をつけるのさえ難しい。でも、きれいなラテの写真100枚より、誰かが本当に検索していることに近いかもしれない。
好きになることと、選ぶことは別の話
2軒のカフェを想像してみてほしい。
A店のSNSは、まるで一冊のインディペンデント雑誌だ。逆光、フィルム、ミルクフォームの上の小宇宙。どの投稿も保存したくなる。けれど、犬を連れていけるのか、コンセントはどこにあるのか、火曜日は営業しているのかは、DMで聞かなければならない。
B店の写真は普通だが、こんな投稿が固定されている。「犬連れの方はテラス席をご利用ください。午後は西日が差します。静かにお話ししたい方には、平日の午前中をおすすめします」
お客さんがAIに「犬を連れていけて、取引先との打ち合わせに向いているカフェを探して」と伝えたとしたら、A店の美的センスが通用しなくなったわけではない。ただ、この問いには別の材料が必要なのだ。
検索システムが投稿を読み取れるか、情報が十分に新しいか、ほかのページでも裏づけが取れるか。そうしたことが、どれも結果に影響する。B店が勝つと断言はできない。ただ、A店が重要な情報をDMの中に隠していることで、公開情報から探し出すまでに、確かに扉が一つ増えている。
人はまず好きになってから、少しずつ聞くことができる。AIが根拠のあるおすすめをするには、「向いている」と言える手がかりを見つけなければならない。
SNSはとても魅力的にも、とても見分けにくくもなる
マーケティングに携わる人は反論するだろう。リーチがなければ、そんなサービスの細かな情報を誰が見てくれるのか、と。もっともだ。きれいなコンテンツには、人の足を止める役割がある。その仕事は今も重要だ。
私が気になるのは、「人の足を止めること」を、道のりのすべてだと思い違いしていないか、ということだ。
あるインテリアデザイナーが、毎日すてきな住まいを紹介している。みんな、その人にセンスがあることは知っている。でも、家主が本当に聞きたいのは、「うちは15坪しかなくて、工事中も引っ越せないんですが、引き受けてもらえますか?」かもしれない。どの事例にも「暮らしを理想の姿に戻す」としか書いていなければ、画面は充実していても、判断に必要な情報は空っぽだ。
そう考えると、SNS担当者の創意工夫への理解も変わってくる。創意工夫は、制約を魅力的に伝えるためにも使える。工事の騒音を1週間の暮らしのマップに描くこと。引き受けるのに向かない依頼をはっきり伝えること。「私たちはプロです」という言葉を、修正方針を決めるまでの一往復のやり取りに置き換えること。
こうした内容は、必ずしもバズるとは限らない。でも、初めて知る人にも、あなたの価値を見分けやすくしてくれる。それらが、誰でも閲覧でき、継続的に更新されるウェブサイトや店舗ページにも載っていれば、検索の際に照合できる材料が増える。AIが引用してくれるかどうかは、それでも保証されない。
夜11時、SNS担当者はカフェの投稿を準備している。机の上には2枚の写真。1枚は、夕日がアイスラテを透かしている写真。もう1枚は、店主が入口にしゃがみ、あの2段の段差の高さを測っている写真だ。
彼女は2枚目を仕事のグループチャットに送った。「明日、ベビーカーでどうやって入るか、撮ってみませんか?」
店主が既読をつけた。30秒ほどして、返信が来た。「この写真、ほんとに見たい人いるの?」
